生きていくということにあって、一つの答えであると思う考え方について書いてみます。
こういった答えにいきつく・・・或いは気づいて、行動することが出来て継続出来れば、必ずその道で良い結果が出ると断言できます。
はぁ・・・若い頃に気づいていればなぁ・・・と、思うくらいのことですが。
金科玉条と言っても過言ではない内容であると思います。
それは一冊の本から気づいたこと
マーク・ブキャナン著の【歴史は「べき乗則」で動く】という本を読んだのは去年の暮れ(2024年12月13日前後)のこと。
この地球・・・いや、宇宙の真理ともいうべきスケールの大きいテーマがべき乗則という理論といってもいい。
簡単に分かりやすくいうと、『特定のものが、大きな影響を持つ』ということ。
そもそも私がこういった本来、苦手であるはずの分野に興味を持ったのも、トレーダーとしてのお勉強からであった。
トレーダーとして自分が買ったところから、価格が上がったところで売れば儲かる。
自分が売ったところから、価格が下がったところで買い戻せば儲かる。
たったこんなシンプルな売買だが、勝ち続けるのが難しく、非常に繊細な自己管理と資金管理が必要となる。
何とかそんな相場の世界で勝ちたかったから、知識の仕入れを行っているときに、正規分布とべき分布という考え方を知った。
その過程でべき乗則という真理について深堀りする為に、前述した書籍を購入し読んだのだ。
結論から言って
『外で起きることというのは、後から意味付けしているのは人間だけであって、全ては起きうること。 そして、完全に予想することは不可能。』
何故、それが起きるのかを考えることには、あまり意味はないと言えたりする。
こちらの都合とそちらの都合
様々な事象において『勝ち』とか『負け』といって優劣をつけたがるのは、人間の悪い癖(へき)であると、最近は思っている。
特にボクシングや総合格闘技、キックボクシングやサッカー、野球じゃないのに、勝ち負けとかに拘って、ブーブー言っている者を見ると、随分、幼稚であるとさえ思うようになった。
だけど、簡単に物事の結果を示す為に、敢えて使っているのが勝ちと負けという言葉。
エンタメのスポーツとか競技なら、そのまんま世間一般的に使われている意味合いでいい。
だが、基本的に私の中で勝ちと負けの定義は各それぞれ2つづつ。
こちらの都合よく事が運んだら『勝ち』。
こちらの都合悪く事が進んだら『負け』。
もう一つの定義として
自分の決めたことをやり通したら『勝ち』。
自分の決めたことが出来なければ『負け』。
こうやって定義している。
後者の方はいずれじっくりと別のテーマで解説するわけだが、問題は前者。
前述している様に相場でいえば、自分が儲かったら『勝ち』、損したら『負け』と定義するのは分かりやすい。
それって要するに儲かることは自分にとって都合がいいわけだし、損したら都合が悪いわけですよね。
異性と付き合いたくって、アプローチをかけて交際出来たら、それはコチラの都合がいい。
反対にフラれたら、それは都合が悪いわけだ。
さてさて、それってのは所謂、エゴ(自我欲)だったり、業(カルマ)といったりするわけだ。
自分の都合が通らなかったら、そこには怒・哀・憎が発生することが多い。
自分の都合が通ったら、喜・楽・愛が発生しやすい。
その舞台にいる人物や対象の情動などは、それぞれで明確には言えない。
だが、時間の経過と供に大事件になったり、悲劇になったり、喜劇になったりもする。
だが、個人的なその都合を押し付けられる対象にとってみたら
おまえの都合なんか知ったことではない
こうなるわけだ。
考えてみれば当たり前である。
私は為替トレーダーでもあるので、昔はよくYouTubeなどで情報をとっていたわけだ。
が、大損しているトレーダーの中には、日銀に文句言ったり、他のトレーダーを逆恨みしたり八つ当たりをしたりする者がいる。
だが、断言できるのは、君と同じ相場参加者の中には、君が泣きわめいてブチ切れしている時に、大儲けしている者もいるわけだ。
つまり、結局は自分が決めているということに他ならない。
そして勝手に都合よく物事を解釈して、参加して損しているのは紛れもなく本人の都合である。
他人やその場所・土台を提供している組織からすれば、他の都合なんて知ったことではないのだ。
視界ゼロの変数まみれの中で
もしも全てが決まりごとばかりで、定数ばかりならば簡単である。
定数となっている事象のパターンや情報を丸暗記すれば、確実にうまくいく。
テストは高得点、スポーツは高成績を叩き出せるし、異性にはモテまくり、金儲けは億リ人に止まらずに兆り人だ。
ちょっと意味合いは違うかもしれないが、それが正規分布で全てが決まっているならばの話だ。
それっぽいことを言って、集金活動はハメコミをしている者ばかりであるが、成果を確実に保証しているものはない。
そう・・・実際にはそうはなっていない。
この世の中はべき分布・・・べき乗則が完全に真理であるといっていい。
だって、結局は何が起きるか分からないからで、それもずっと同じことが続くわけではないから。
それでも世の中には自分の思い描いた通りにうまくいっている人がいる。
先は分からない。
自分は様々な損失をするかも知れない。
でも、何もしなければ変わらないし、何かを意識しなければ踏み出すことも出来ない。
大事なのは、継続できるかどうかのみ。
継続できなくなるのは理由がある。
その理由の9割型は、当事者の気持ちの問題に収束する。
かつてマネーの虎に出演していた好きな社長さんで高橋がなりさんという方が仰っていた。
『成功するまでチャンスやれば、必ず成功できるんですよ。』
これはがなりさんは、志願者に向けて、起業にチャレンジする人たちに向けて仰っていたと記憶している。
同じことを確かビル・ゲイツ氏もいっていたんじゃなかったっけ?
『そりゃうまくいくよ! だって、成功するまでやるんだから!』
確かこんな感じだったと思う。
ある意味、これって聖杯のような考え方であると私は思っていたりします。
ずっとうまくいっていない人。
それって辞めてしまうか、本気で自分の都合よい状態にもっていく努力していない人。
トレードで言うんであれば、損切りしないでずっと含み損抱えて何とかなると思っている人。
何とかなるケースもあるけど、その分の時間の機会損失は半端ではない。
新たにデータもとれたのに・・・ということに気づいていない。
と、いうか自分が負けたと感じることが嫌で、常に勝っていたい&損せず儲けたいというテイカー・クレクレくん、クレクレちゃん体質なんだろうと思うところだ。
3か月頑張って勉強したのに、上達していないと思って挫折した。
でも、1年後にどうやら傷も癒えて(?)、また同じ勉強をする。
今度は半年もったけど、また上達していないと思って、やらなくなる。
で、忘れる。
このループをしていて、結局、10年くらい経っても全く語学を習得できていない人。
結局、目的を忘れて、学びがステータスになっていてバッジみたいなことになっているんだろう。
しかし、それに費やした学費や時間、活力は全く意味をなしていなかったことも忘れている。。
まあ、それもこれも、個人の都合なんだから、外の私は何も言うことは無い。
傍観者として、『そっか、そっか (´∀`;)』と、うなづいて、そ~っと傍からいなくなるだけである。
最後に〆として
かつて、怪談師のレジェンド・稲川淳二さんはこんなことを言っていた。
『本当は怪談って楽しいものなんです。 それを怖いと思ったりするのって、こっちの勝手なんですよ。 本当は優しいものかもしれない。』
今から25年くらい前に仰っていた氏の言葉は、これってべき乗則や自己啓発系のとあるテーマに沿ったニュアンスであったのですよ。
と、いうわけでまとめとして。
・自分の外で起きていることは、総じて自然発生的に起きていると理解する。
・コントロールできるのは自分の心のみで、外はわからないからどうすることも出来ないと思う。
・外の事象を自分の都合よく乗りこなすには、何度でも乗ることであり、乗りこなせるように自分を制御する。
・最終的には意識をして乗りまくった事柄の結果は自分にとってうまくいく・・・はず。
これらのロジックをうまく自分の営みにいれて、よい未来を構築するには色々と訓練が必要であると思っています。
私も未だに試行錯誤中ですが、だいぶ腑に落としているので、時間とともにあらゆる面においてうまく使えると確信していたりします。