【ゲーム脳】リアルオンラインという私的解釈と考察【煉獄領域】

記事のアイキャッチ画像からも分かるように、私は元々、MMORPGの廃人でした。

どの位、廃人かと言えば、上には上がいるものの、ゲームの中に生きる臨場感があったくらいです。

リネージュというゲームにどっぷり浸かったいたわけですけど、丁度、20年前くらいにやり出したんです。

今回の記事は思い出を振り返るとともに、その経験が今にどう繋がっているのか?というお話。

 

ゲームの世界=リアルの縮図か?

見出しの文言は、あくまで私が言ったわけではなく、あるプレイヤーがいったこと。

そう、確かにそんな時期が私にもあってね。

リネージュというゲームそのものの解説は控えるけど、まあ、言ってしまえば自分が扱える数字の増減を楽しむお遊戯です。

そこに刺激的なBGMとグラフィックが交錯し、挙句、自分と同じような生のプレイヤーの思惑が絡むので、そこは紛れもなく世界なんですよ。

 

昔はやはり大事なのはリアルと言われる現実社会においての営みなわけで、そしてそんなリアルがあるからこそヴァーチャルのゲームが楽しめる。

なので、ゲームに寝食忘れてハマって、感情的になっている奴を廃人とか精神異常者と言う。

ゲーム内で常識人ぶっているプレイヤーは、同族ともいえる人を、そんな風に揶揄していたりしてたんですよ。

 

2025年現在だとメタバースとか出てきたんで、ハッキリ言ってリアルだろうが、ヴァーチャルだろうが、どっちでも良くね?って感じでしょうね。

うん、ハッキリ言って私もどっちでもいいよってマジで思っています。

しかし、そんなことを書き綴りたいわけではない。

結果的にゲームの世界はリアルの縮図だってことだったんであれば、当然、ゲームを通して学んだことがリアルに大いに役に立ったってことがあるわけですよ。

 

当時のMMORPGはマゾすぎたけど・・・

当時、私がやっていたゲームって、とにかくレベル上げがきつかった。

簡単にいって経験値というパラメーターがあり、0%から100%の値があり、100%になると上位概念のレベルというパラメーターが上がるんです。

最初はさくさくこのレベルは上がっていくんですけど、ある数字を境に上げづらくなっていく。

当時の私がハマっていた仕様だと、LV49からは地獄になってくるという感じ。

そして、楽しくなってくるのがLV52からというのがセオリーでした。

しっかりとリアルも大事にしている社会人さんだったら、ハッキリ言って一日LV49の時点で1%あげるのが精一杯って時期もあった。

後期になってくるにつれて段々と過酷な経験値上げも、さすがに緩和されたりするんですけどね。
マゾすぎて課金してくれるプレイヤーが離れるからですね~。

で、ゲーム上で所謂、ダメージを喰らったりして、操っているキャラが死亡するとペナルティとして、稼いでいた経験値が減るという仕様があるわけです。

LV49の15%で死ぬと、5%減って、10%になる。

上記の例で言えば、5日分無駄になったって具合で、教会での復旧システムってのもあるけど、高額なゲーム内通貨を支払って、2.5%戻るだけという具合。

まあ、マゾいですね・・・。

当時は光回線とかではなく、ADSLでやっている人も多かったから、ゲーム上で回線が切断して死ぬということも繰り返したりとかしてね。

こんな今のヌルゲーと違って、マゾかったからこそ、実際にLV52まで育てた時なんかは、恐ろしい程の達成感があったりして、更に辞められなくなったりとか。

まあ、人によりますけどね。

 

要するに何が言いたいのかというと、マゾいことに慣れてみる。

それしかないと思うことで何気ないことでも、ドーパミンがドバドバ出て達成感の為にやるという努力中毒になっていったりする。

 

都合良く人生を創る為に必要なある力とは?

だからといって、スマホを捨てろとか、ネット辞めろとかって極端なことは言わないし、言う気もありません。

それって、

車の事故が多いから、車なんか凶器だ!

って言うくらい、おバカなクレームだと思うし、要するに使い方とか付き合い方の問題で、個人のリテラシーの問題でしかない。

 

私がリネージュとかに代表されるゲームを遊びまくった結果。

偏った脳ミソになったことで、気づいたリアルに応用できるマインドは沢山あるんですよ。

だけど、一番はやっぱり

 

行動力圧倒的モノを言う

 

と、思っています。

 

それはさながら、餓狼伝の松尾象山

を握りしめて、威嚇しながら

これが一番、手っ取り早いんだよ! これさえあればワガママが何でも通る!(^盆^)凸

と、言うくらいな勢いと確かさで。

 

ゲーム内だから、死んだところで5%減るだけだ。

そりゃ、5日分何してたんだろ?って思うけど、ハッキリ言ってゲーム内では他に沢山、色々な楽しみ方がある。

そもそもゲーム内で死んだら、リアル何がある? 嫌な気分になるだけど、何もない。 ご飯は食べれるし、お風呂にも入れるし、昼寝だってできる。

 

リアルで何か物事を失敗して、嫌な気分になったり、恥ずかしい気分になったところで、だから何なの?って思える。

あたかもリネでキャラ死んで、経験値減りまくったけど、結果的に私はメインキャラはLV73まで上げたし、他のクラスも軒並みLV52以上のキャラを複数、育て上げた
今思うと自分でも頭イカレてたなぁ・・・って思うけど、それもまたいい思い出 (^盆^;))

これって何がそうさせたのかといえば、ゲーム上での行動力だけだったんです。

 

現在、憂国の日本(まあ、50年前から言われてるけど(ぶw))にいる我々。

少子化も相まって経済的にはまあ、しんどい状態にどんどん追い込まれていることは想像に難くない。

でも、何か物事が失敗したら、ただちにポリに逮捕されて縛り首になるのか?と言えば、NOである。

自分が投資や投機に成功しようが失敗したら、国税のプレデター集団が根こそぎ奪いにくるのか?といえばNOである。

仕事が運悪く、実力不足で無くなったとしたら、どこからともなくロシア兵がやってきてシベリアに連れていかれるのか?といえばNOだ。

日銭の為にサクッと働き出した先で、頭の膿んだ上司が嫌でバックレたら、撃ち殺されるのか?といえばNOだ。

まあ、どっかの外国だったら、ワンミス命取りになるんだろうけど、まだ日本はヘッチャラだ。。

自分にとって都合の悪い状態になったとしても、まるでリネージュで死んだ程度の気分にしかならないのがリアルなんだよね。

だから、まるでリネージュを楽しむように、リアルもそんな感じでやりたいようにやるべきだと思うんだ。

まあ、リアルでゼロイチを達成するより、リネージュでLV52突破して70オーバーになる方が簡単ではあるけどね。

だけど、あの時、リネージュに費やした時間と気力を、リアルにおいて何かの物事に突っ込めば、ハッキリ言って結果出ない方がどうかしていると断言できるわけですよ。

ゲームだからってこともあるけど、1日6時間、休みの日で半日以上、リネ三昧。

恐らくこんなペースでやっていたと思う。 超廃人ではなく、社廃人だったから。

週休2日で24時間、仕事5日で眠い目をこすって30時間。 一週間で54時間。

一か月4週間だとして、216時間。 一年で2592時間くらい。

まあ、税理士の資格、取れてたな(^盆^;)

一見、無責任な理屈かも知れないが、実際にマインドの方向を変えることによって、それだけの凄まじい行動力が発揮できるってことなんですよ。

 

煉獄領域ってついているけど?

まあ、ゲーム脳に関しては、追々、沢山ネタがあるので書いていくとして・・・タイトルの語尾にある【煉獄領域】について。

煉獄ってのは、天国と地獄の狭間って概念ですね。

実際には天国って情報も、地獄って情報もファンタジーである。

昔、飢餓に苦しみ、ハイテクもない時代、些細なことですぐに食えなくなったり争ったりする人間たちが縋ったのが、創造主と言われる神様って概念。

まあ、実は想像された主なんだけどね。

そして、それをうまく利用できると気づいた人たちが沢山、他の想像力を働かせて創造主である神様作ったんよ。

情報を伝達させて後世に残してしまったんだよね。

だから、ファンタジーって言えるんだよね。

と、いうことは煉獄も当然、ファンタジー。

だけど、その言葉の括り方が凄く私、好きでね。

 

私は苫米地英人先生の理論である【超情報場仮説】という説が単純に好きだ。

そこからヒントを得て、私は煉獄領域(Purgatory Region)という考え方を持っている。

天国とか地獄とか、どっちでもいいんだけど、言ってしまえば情報空間と物理空間。

そして、それらを繋ぐものはなに?って言ったら、我々、人間が認識できる領域。

つまり、煉獄とは私たちが認識して利用している領域全てを指しているということであり、それを感じれて操れるのは人間だけだという理屈です。

 

我々は情報だけでも臨場感を感じて、泣くこともあれば、怒ることも出来る。

ゲーム上の出来事で泣いたこともあるし、頭かきむしるくらいに腹が立ったこともある。

インターネット上の誹謗中傷に苛まれて、自殺する芸能人や有名人がいる。

反対に情報だけでしかない姿形の無いモノによって、救われた命も沢山ある。

世の中には空手バカ一代というつのだじろう先生の漫画をみて、プロの空手家になった人がいるくらい。

 

そんな煉獄領域を楽しみながら生きていくって姿勢が、けーごが伝えたいし書きたいことでもあったりします。

ホント、まともに考えたらメンドクセーことばっかりなんだけど、それってネトゲだって思えば、楽に行動力を発揮できるかもしれない。

実際に私はこんな考え方で、結果出してきたし、幸せに生きてこれたって自負もある。

 

まあ、かなり長くなってしまったし、とりとめもない感じになった。

だからといって、書き直したりもしない。

 

単純に楽しいことでも面倒なことあるけど、やり抜いたら達成感あるわけで、それが誰かの価値になるんならカネも稼げるよってお話でした。

で、それってハッキリ言ってネトゲやってるのと然程、変わんねーよってことが言いたかっただけだった。

 

つーか、じゃあ、2行で済ませろよ!ってのは、ナシで(笑)